J1サポーターの皆様へ
お盆も過ぎ、補強期間、中断期間も終わった頃、現実的に自分たちが「どのあたりの順位に着地しそうか」、「今後どんなサッカーを展開していくのか」が見えてきたと思います。中には、勝ち点がなかなか積み上げられず、サッカーの内容も優れず、「このままでいいのか」と焦り散らかし、「自分は世界一不幸なサポーターなのではないだろうか」「来年の今頃はどこでなにをしているのだろうか」と不安になる方もいらっしゃるでしょう。
私もそういったサポーターの一人ですから、今回は「どうしたら幸せといえるのか」、「どうしたら未来を感じられるといえるのか」について考えていきます。
※文章だけ読むとかなり怪しいですが、変なものを売り付けたりはしません。
J1サポーターにおける「幸せ」とはなにか考える
「サッカーのリーグ戦」というゲームにおいての目的は「優勝すること」であることは間違いないと思います。しかし「優勝すること=幸せであること」とすると、2021年では全20チーム中、19チームのサポーターが「不幸」になります。95%のチームが不幸になるゲームはどう考えても欠陥があります。
そのため、今回は「真の不幸」である「降格」以外は「幸せ」。つまり「残留=幸せ」であるとします。これでも20%のチームが不幸になるゲームなので恐ろしいですが、既に1部の皆様は「ほぼ残留が確定」しているでしょうから十分に幸せだと思います。これからは幸せの最大化である、より上の順位で着地することを頑張ってください。
「残留」という目的に対して、「勝点」が目標となります。
また、目的・目標に対するフィードバックとして「得失点」があります。各試合の「得失点」の大きさが「勝点」に影響が。「勝点」に影響が出れば「残留」に影響が出ますので、各試合の得失点がプラスなら幸せに感じるようにできています。
J1サポーターにおける「未来」とはなにか考える
次に、J1サポーターにおける「未来」とはなにか考えます。
リーグを優勝したとしても、未来があるとは言い切れないと思います。やっているサッカーの内容に不安があり、来年以降どうなるか分からないというパターンです。
2013-14シーズンにスペインのリーガ・エスパニョーラを優勝したアトレティコ・マドリードを例にあげます。
アトレティコ・マドリードはシメオネ監督のもと、オーソドックスな4-4-2のシステムを用いた堅固なサッカーを築き上げ18年ぶりにリーグ制覇をしました。しかしながら、オーソドックスな4-4-2ゆえに優勝以降は対策に苦しめられます。得意のカウンターをさせてもらえず、ボールを持たされ、なかなか前進できないのです。この状況が「未来を感じない」だと思います。
さて、そんなアトレティコ・マドリードが今どうなっているかというと、昨シーズン7季ぶりの優勝を果たしました。監督はかわらずシメオネ監督のまま。しかし、やっているサッカーはオーソドックスな4-4-2ではなくボール保持では3-2-5、ボール非保持では4-3-3↔5-3-2といったモダンサッカーです。この状況は「未来を感じる」と言えるでしょう。
未来を感じる、感じないの違いはどこにあるでしょうか。
オーソドックスなサッカーか、それともモダンサッカーなのか、という所に目が行くと思いますが、それはあまりにも単純すぎると私は思います。例えばモダンサッカーと言えども、結果が出ていない。ましてや、降格圏内に沈んでいるとなれば、誰も未来など感じないはずです。ロマンを追いすぎるくらいなら解任してくれとすら思う人もいるでしょう。
ならば、結果さえ出ていればいいのかというと、そういうわけではないのは前者の例であげた通りです。オーソドックスで対策がとられるのであれば、いずれ結果もついてこなくなると予想されるからです。
では、未来を感じる、感じないの違いはどこにあるかというと「持続可能な成長をしているかどうか」だと私は考えています。持続可能な成長とは「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような成長」です。
はっきり言って「未来を感じる」というハードルはかなり高いことです。よくあるベンチャー企業のうたい文句のように「圧倒的成長」による目先のシーズンだけ結果を出すのでもダメ。目先のシーズンで結果を出しつつも、将来も勝ち続けることが求められるのです。
まとめ
- 幸せとは「残留すること」であり、順位が上がるにつれて幸せは最大化する
- 不幸とは「降格すること」であり、何位であれ不幸である
- 目的が「残留」、目標が「勝点」、フィードバックが「得失点」となる
- 「各試合の得失点の大きさ」と「各節終了時点の順位」が目先の幸せとなる
- 「未来を感じる」には、「持続可能な成長」が必要
- 試合内容がオーソドックス / モダン問わず、目先のシーズンすら結果を出せないのは、「未来を感じない」
- 目先、将来的にも継続して結果を出し続けることで、「未来を感じる」