原崎監督の最も影響を受けた指導者ーピム・ファーベークー

2022/04/07

サッカー ベガルタ仙台

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ソシオ会員の楽しみとして「オフィシャルイヤーブック」がある。
選手が他の選手をどう見ているのか、何が好きなのか、座右の銘は何か等、小ネタが散りばめられており、シーズン前のモチベーションアップには欠かせないアイテムである。
これらの情報は、2022シーズンであれば公式サイトのトップチーム選手・スタッフのページで閲覧可能なので、興味がある方は読んでみてほしい。

しかしながら、トップチーム選手・スタッフには「オフィシャルイヤーブック」とは違って、監督の詳細は書かれていない。
この監督の詳細に、原崎政人監督の志向するサッカースタイルの伏線が書かれているので、本記事ではそれについて遠回りしながら確認していきたい。

原崎監督のサッカースタイルを仙台の文脈からみる

原崎監督の指導者としての文脈を仙台視点でみる。

まずは、懐刀として抱えた手倉森誠前監督(現・BGパトゥム・ユナイテッドFC監督)だろう。

2012年にJ1リーグにて2位の成績を収め、チームに初めてのACL出場権をもたらした際に、原崎監督はベガルタ仙台にトップチームコーチとして戻ってきた。
翌2013年もトップチームコーチとして手倉森前監督を支えている。

その後、手倉森前監督は五輪日本代表の監督、日本代表のコーチを務め、2019年シーズンにV・ファーレン長崎の監督となる。
翌2020年には懐刀である原崎監督を長崎へ呼び、タッグを再形成。

2021年に再びベガルタ仙台の監督を務めた際にも、原崎監督はヘッドコーチを務めている。

手倉森前監督のサッカーを仙台の文脈でみるなら「堅守速攻」というイメージがある。
固いゾーンディフェンスと走力を武器とした全員攻撃・全員守備のサッカーだ。

2022年シーズンのキャンプ映像をみると、原崎監督もゾーンディフェンスの練習を取り入れていることが分かる。
また2代目 鬼軍曹である松本フィジカルコーチのメニューも厳しく、走力の向上にも努めていた。

以上が手倉森前監督からの影響として考えられる。

次に考えられるのは、渡邉晋元監督(現・モンテディオ山形トップチームコーチ)だ。

2014年に前任であるグラハム・アーノルド元監督(現・オーストラリア代表監督)の成績不振からバトンを引き継いだベガルタ仙台初のOB監督である。
原崎監督は2014年、2015年にトップチームコーチとして渡邉元監督を支え、代行監督も務めたことがある。

原崎監督は2016年はアカデミーコーチで配置転換。
翌2017年にはユース監督を務めることとなった。

ユースでは、トップの渡邉晋元監督の方針と合わせ、「良い立ち位置を取り続け、どのスペースを活用できるかを常に判断しながら、攻守に主導権を握り続ける」トップとも共通する概念でチームづくりを行ったとされている。
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原崎監督は2022年シーズンに「どのようなサッカーを繰り広げたいか」という質問に対して、「チームで掲げているのは主導権を握ること。そのためにしっかりボールを保持し、守備でも仕掛ける場面をつくる」と回答しており、渡邉晋元監督の影響を受けていると考えられる。

仙台の文脈から試合をみてみる

手倉森前監督、渡邉元監督の影響を頭に入れた上で原崎監督の試合を見てみる。
すると疑問点が出てくるのである。

まず、堅守速攻というイメージはすぐに消え去る。

速攻はあれど、堅守はどこにもない。
執筆段階(2022/04/06)でJ2リーグの平均被シュートランキングで断トツの被シュートを受けているのはベガルタ仙台である。
実際に失点も多い。
(尚、失点の多さは気にしないこととしている。)

守備時に高めのポジショニングをとるサイドハーフからはゾーンディフェンスの概念があることが伺えるが、手倉森前監督のような引いた位置でスペースを消してから走力で詰めるディフェンスではない。
守備でも仕掛ける場面をつくる」という言葉の通り、こちらから誘いに行くようなディフェンスだ。

また、良い立ち位置をとり、ボールを保持するという点でも疑問が出る。

渡邉元監督の良い立ち位置は、レーン間・ライン間にポジショニングをとり、1人が2人以上を困らせるというもの。
前提として、各ポジションごとに5レーンのどこに立ち位置をとるか、明確なルールがあった。
そのため、1つのエリアに複数人がいる、ということはほぼほぼない。

ところが、原崎監督のサッカーでは逆サイドハーフがボールサイドに寄ることは是として扱われている。
また味方選手同士の距離も、ピッチ幅に対して均等というよりかは、相手選手を基準としているように見える。

詳細は以下の記事に書いたので、気になる方は確認いただきたい。

以上から、仙台の文脈から原崎監督の試合を見てみると、どうもしっくりこない。
原崎監督のサッカー観は、何か別のところから影響を受けていることが予想される。

原崎監督のサッカースタイルを原崎監督の文脈からみる

ベガルタ仙台のサポーターとしては、仙台のレジェンド監督の意志を継いだ新監督!
・・・となった方が、どことなく嬉しいものであるが、どうやら違うということがこれまでで分かった。

そのため、原崎監督自身の文脈から、原崎監督のサッカー観を確認してみることとする。

原崎監督はフジタ工業サッカー部(現・湘南ベルマーレ)に入部し、ベルマーレ平塚となったことでプロサッカー選手となった。
入部時には「君ぐらいの選手は他にもいる。でも君は性格がいいからウチは取るよ」と言われたエピソードがあるらしい。
たしかに性格の良さは分かる方で、選手・スタッフからも慕われているのが伺える。

平塚時代は仙台のレジェンド岩本輝雄氏ともプレー。
指導者になった方では、田坂和昭元監督(前・栃木FC監督)、名塚善寛監督(現・レノファ山口監督)、呂比須ワグナー監督(元・アルビレックス新潟監督)などがいる。
しかしながら、ここから共通のサッカー観は見出せないため、平塚時代の影響は現時点では予想できていない。

平塚から1999年にJ2へ参入した大宮アルディージャへ移籍した原崎監督。
当時の監督はピム・ファーベーク監督(元・オーストラリア代表監督)である。
冒頭で話題にあげた「オフィシャルイヤーブック」で原崎監督が「最も影響を受けた指導者」として名前をあげている人物である。
原崎監督曰く「サッカーに対する考え方が変わった」とのことで、明らかなヒントである。

以降は、ピム・ファーベーク監督について確認していきたい。

ピム・ファーベーク監督とは

残念ながらピム・ファーベーク監督の大宮アルディージャの試合の記憶は全くない。

ピム監督はオランダ国籍の方で、元サッカー選手のようだ。
当時のエールディヴィジの選手ということは、相当上手だったに違いない。

現役引退後には名門フェイエノールトや仙台サポーターには縁のあるFCフローニンゲン(元・板倉選手所属先)等で監督を務めて、1998年に大宮アルディージャに監督就任。
以降は韓国代表をワールドカップ ベスト4に導いた際のアシスタントコーチや京都パープルサンガ(現・京都サンガFC)、オーストラリア代表監督などを務めた。

大宮アルディージャ時代に話を戻すと、三浦俊也コーチ(現・FC岐阜監督)、渋谷洋樹コーチ(現・ジュビロ磐田ヘッドコーチ)、中村順通訳(現・ヴァンフォーレ甲府アカデミーヘッドオブコーチ)らと共に、オランダスタイルのポゼッションサッカー「ダッチ・フットボール」を構築したようである。

ピム監督自身のインタビューは日本語記事では見つからなかったものの、監督と共に働いたスタッフのピム監督について言及された記事がいくつか見つかった。

渋谷コーチはピム監督からサッカーを学んだ選手たちは、指導者になりたいと思うのではないかと答えている。
どうすれば上手くボールを回せるかという指導を受け、体感できれば、それを今度は伝えたいと思うようになる。
今では当たり前の「間で受ける」を1998年には教えられていれば、そう思うのも無理はないかもしれない。
尚、「間」の元は「Between position」であり、「ライン間」というよりかは「選手と選手の間=ギャップ」であると予想される。

中村通訳のコメントからは最終ラインで数的優位を作り出し、プレッシャーを軽減して相手ゴールへと前進するビルドアップをしていたことが伺える。

また渋谷コーチ曰く、GKがビルドアップに参加することも求められていたことが分かり、モダンなポゼッションサッカーと同様のものを構築しようとしていた。もしくは構築したことが分かる。

位置的優位性だけではなく、それを活かすための個人戦術も意識していた。

パスを通すために、ファーストタッチのボールはオープンの場所にボールを止めること。
キックのときは足をコントールすること。

止める・蹴るは今では風間セレッソ大阪スポーツクラブ技術委員長の代名詞ではあるが、ピム監督はピム監督としての拘りがあったことが伺える。

ディフェンスに定評のある三浦コーチのコメントからは、守備ではゾーンディフェンスの導入を行っていたことも分かる。
尚、当時の日本では最先端のようだったが、怪しい強度だったことも伺える。

ピム監督の意志を継ぐ大宮アルディージャ

前述のように今では当たり前、されど、当時最先端のサッカーに魅せられた選手たちがピム監督の意志を引き継いだ組織が大宮アルディージャである。

『これをアカデミーから作り上げていくことが将来の大宮の土台になるぞ』という話から中村通訳が育成部長になり、当時の選手たちがスタッフ入りし、現在の大宮が作られた。

ショートパス、ミドルパス、ロングパスをつなぎ、ボールを握って主導権を握る。
自分たちが意図した形で攻撃をする。
主導権を握りながら点を取って勝つスタイル。

これらは大宮アルディージャのジュニアからユースまで、育成年代で統一されていることだと渋谷コーチは言う。

ボールを握るための、止めて蹴るという技術。
パスを受けるための準備や予測、状況を見てどう動けばいいのかという判断。
どこにポジションをとって、どの身体の向きで受けて、どのスピードでパスを出すのか。

これらの言葉に見覚えはないだろうか。
原崎監督自身、もしくは関係者のコメントやインタビュー、記事で出てくる言葉なのだ。

「チームで掲げているのは主導権を握ること」

「自分たちが考えて自分たちで判断できる選手を育てたい」
「試合では自分たちで判断できるという形が絶対条件」

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「原崎監督はシステムではなく、スペースを共有することや、良い判断をしていくこと、止める蹴るの重要性という土台を1年かけて作って下さった」
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「判断速度をもっと上げていきたい」

ボールを動かし、人も相手の嫌がる位置へ動きながら揺さぶっていく。
止める蹴るの高い基礎技術はもちろん、判断速度や連係で、高いレベルが要求される。
選手たちは「基本的な技術がしっかりしていないとうまくいかない。すごく頭も使う」

原崎監督が直にパスの出し手と受け手それぞれの位置取り、体の向き、利き足の置き方などについて示す。

それもそのはずで、原崎監督の指導者としてのキャリアは大宮アルディージャのアカデミーから始まった。
原崎監督はピム監督から指導を受け、影響され、同じように影響を受けた人たちによって作り上げられた大宮アルディージャのアカデミーから指導者をスタートした、ピム監督の純粋なる意志を継ぐ者なのだ。

原崎監督の志向するサッカースタイルは、こうして積み上げられていったと予想される。

意志を継ぐ者

本記事ではここまで、「オフィシャルイヤーブック」に記載されている原崎政人監督の志向するサッカースタイルの伏線を確認してきた。

「主導権を握る」。
原崎監督はベガルタ仙台のレジェンド監督と共に歩んできたが、試合をみると、レジェンド監督たちとは違うアプローチで、主導権を握ろうとしている。
そこで、原崎監督の最も影響を受けた指導者であるピム・ファーベーク監督を深掘りすると、ピム監督の意志を継ぐ大宮OBたちと原崎監督が同じ思考をしていることが分かった。

仙台のレジェンド監督と違う色が入ることは楽しみなことで、新しい発見が毎試合あって素晴らしい日々を過ごさせてもらっている。
また、違う色といっても、ここまで登場してきた人物は仙台に縁のある人たちがたくさんいることも忘れてはいけない。

グラハム・アーノルド元監督は、オーストラリア代表でピム監督をコーチとして支えた人物である。
三浦俊也コーチは、ブランメル仙台の元監督・コーチである。
中村順通訳は、ブランメル仙台の元トップチームコーチである。
原崎政人監督は、ベガルタ仙台の元コーチ・ユース監督である。

最後に、ピム監督の意志を継ぐ者が新たにもう一人増えたという伏線だけは残しておいてて、本記事は終わりとする。
角田誠アシスタントコーチだ。
ピム監督の指導を受け、手倉森元監督に心酔し、将来同じような指導者になりたいと誓った男が、原崎監督を支え、意志を継いでいく物語もいつか見られるかもしれない。


「人はいつ死ぬと思う・・?」
「心臓を銃で撃ち抜かれた時・・・違う」
「不治の病に侵された時・・・違う」
「猛毒のキノコのスープを飲んだ時・・・違う!!」
「・・・人に忘れられた時さ」
―出典:ONE PIECE 16巻145話

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